昔、田名の相模川では鵜飼いが盛んでした。その頃、清水部落の東の方に一人の鵜飼いがいて、その女房との間には男の子がいました。
ある時、その鵜飼のところに、烏山の殿様から村の名主を通じて鮎のご用命がありました。あいにく折から不漁の時期で、しかも少し風邪気味でしたが、殿様の命令ですから断るわけにはいきません。しかたなく漁に出ると、運悪く雨も降ってきました。やっとの思いで何とか鮎を獲ることが出来ましたが、家に帰るとそのまま病の床に臥してしまいました。鵜飼いの病は悪性と見えて、とうとう死んでしまいました。残された母と子は途方にくれましたが、男の子は健気にも父の仕事を継ぐ決心をしました。しかし、ほとんど初体験ですから魚はうまく獲れませんし、他の鵜飼いたちから意地の悪い扱いをうけました。仕方なく、少しばかりある畑で百姓仕事もしたのですが、こちらも生活の足しにはなりません。母と子貧乏に喘いでいました。 名主がこれを見て、もとは殿様の注文から起った事ですので、殿様に訴えました。殿様は思わぬことの成り行きに気の毒に思い、相模川のどこで鵜飼いをしてもいいという許しを与え、畑の作物も年貢を免除しました。これを「鵜飼免」といって、おかげで母と子の暮らしはだんだんと楽になったそうです。
座間美都治
相模原民話伝説集より